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幕末・明治の寫眞師作品
長崎の上野俊之丞が1873年に初めて日本に写真機を持ちこみます
【セリ】 2012年05月29日
セリです。
写真に撮られるというのが好きでは無いです。
写真を見るのはもちろん嫌いじゃないですが。
おかげで、自分の写真というものは
ほとんど残っていないですね。
というより、自分の手元に無いだけかもしれませんが。
集合写真やら、旅行に行った際にまとめて撮られるようなことは
ちらほらあったので(それもできれば避けていましたけど)
この世の中のどこかにはあるとは思います。
小さい頃から、あまり写真を撮ってこなかったので、
今更、ちょこちょこ写真を撮って、自分の姿を記録させる事も必要あるまい、
って感じですね。
・・・こういう考えの人って少ないのかなあ。
割とみんなパシャパシャ自分達の写真を撮っては嬉しそうにしていますよね。
小学校に上がる前から、良く解らなかったんですよ。
長じてからは人それぞれと思うこともできましたけど。
さて、本日のイベント紹介です。
「幕末・明治の寫眞師 内田九一」展
http://evenear.com/event/detail/4385/ 6月8日~6月20日まで。
東京・赤坂のフジフイルム スクエアで、写真展が開催されます。
それも、幕末から明治初期に撮影された写真ばかり。
日本に写真技術が入ってきた当初、最も有名な「寫眞師」(しゃしんし)と言われた
内田九一の写真です。
明治天皇や勝海舟を初めとして、多くの著名人達の写真を撮影した人でもあります。
あの頃の写真と言えば、
「撮られれば寿命が縮む」
「手を撮影されると、手の先から魂が出てしまう」(近藤勇さんも言ってました)
「三人で撮影すると真ん中の人が死ぬ」
といった迷信?がまことしやかに囁かれていました。
まあねえ、
維新志士の写真なんて撮っていれば、幾人も動乱の中で死んでいったでしょうしね。
本当に遺影のつもりで撮った人もいたんでしょう。
坂本龍馬もそんな事言ってましたね(彼は自分の写真を焼き増しして
名刺のようにして人に渡す程、写真には凝っていたようですが)。
三人で撮影した時に真ん中の人が死ぬ、とかいうのは、
年上(目上)の人は真ん中に来ることが多いからだとか。つまり寿命ですね。
こんな時代で、写真を撮影するのは、さぞかし大変だったのではないでしょうか
(いちいち説明が・・・)。
それでもみんな自分の姿を後の世に残すべく、写真を撮っていたのですから、
やっぱり自分の写真を撮る、というのは当たり前の事なのかもしれないですね。