2013/02/10(公開:1970/01/01)
古地図で読み解く都電廃線跡《城東電気軌道が走った砂町》
今では三ノ輪橋と早稲田を結ぶ都電荒川線のみになりましたが、今より40年以上前には最大で41もの路線が東京都電としてまちを走り回っています。
今回は、中でも比較的廃線跡として識別がしやすい砂町エリアにスポットをあて、都電38系統と29系統の路線跡を古地図とともに巡っていきます。
もともとは城東電気軌道という民間鉄道会社として発足していた路線が、戦中に東京市に買収され、後の都制施行で「都電」となり、最後には廃止・撤去されていくまでにはどのような変遷があったのでしょうか。
いかなる車両が走り、その車窓より見ることができた当時の街並みはどんな様子だったのでしょうか。
通常とは違うルートを走ったという「臨時系統」とはどんなものか。車庫の様子はいかなるものだったか。そんな都電にまつわる興味深いトピックをたくさんご用意しております。
さらに、この地は、作家・永井荷風が愛した地でもあります。荷風も実際、都電に乗り山の手の家より度々訪れていたといいます。荷風がこのまちをどのように彷徨ったのかという視点も併せてご紹介していきます。
都電が走り、荷風が歩いた砂町。その、大正・昭和時代に想いを馳せて、そぞろ歩きを楽しみましょう。