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2013/07/17(公開:1970/01/01)

~幕末・明治の写真展~「フェリーチェ・ベアトが見た日本 Part1」

イベントの写真

東京のJCIIフォトサロンで開催される戦場写真のパイオニア「フェリーチェ・ベアト」の写真作品展示イベント


◆フェリーチェ・ベアトは1863年より幕末~明治時代初期の写真を撮影した人です。

彼は1832年にイタリアのヴェネツィアで生まれ、1844年からコンスタンティノープル(現・イスタンブール)にて育ち、彼の妹であるレオニルダ・マリア・マチルダの結婚相手であった写真家のジェームス・ロバートソンに写真技術を師事しました。

ロバートソンは、1855年にクリミア戦争に従軍。
ベアトも助手として戦争に同行。初めて本格的に写真に記録された戦争であったクリミア戦争にて、衝撃を受けた事でしょう。

クリミア戦争後のベアトは、1858年にインドに向かい、インド大反乱(第一次インド独立戦争)で撮影活動を行いました。

1860年にイギリス軍に従軍し、第二次アヘン戦争(中国)の戦跡を撮影。
今まで写真家達が撮影を避けていた遺体も撮影対象としていたベアトの写真は、戦争がもたらす恐怖や悲惨さを多くの人にリアルに伝える力がありました。

従軍先の中国では、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の特派員であり、画家でもあったチャールズ・ワーグマンと知り合い、来日していたワーグマンを頼り、文久3年(1863)に来日します。
そして明治17年(1884)まで約20年間日本に滞在することになります。


時は幕末。
当時の外国人は日本国内を自由に行動できませんでした。
その為、撮影した地は、開港地の横浜や長崎における撮影が必然的に多くなりました。
そして、ベアトの場合来日した使節団に同行することで、日本各地を巡る幸運に恵まれました。
それによって、日本の風景のみならず様々な階層や職業の人々の風俗を撮影することができました。
それまで、長期にわたり日本に滞在し、数多くの写真を撮影した写真家はほとんどいませんでした。ベアトの技術力を反映した鮮明なる画像の大判写真は、幕末の日本の様子をまじまじと現在に伝えてくれる貴重な資料となっています。

今回は当館所蔵のベアト作品の中から、前編として、来日した外国人向けのお土産として販売されたアルバムを中心に、ベアトが得意としたパノラマ写真5枚を含む、約90点を展示いたします。
江戸の街並みや、明治5年(1872)に完成した横浜駅の様子、外国人が行くことを許されていた横浜周辺の遊歩区域や東海道、開港地である神戸や長崎などの日本各地の美しい風景と、当時の日本人の風俗、そして、かつての街並みをドラマチックな視覚効果で伝えてくれるパノラマ写真の数々をお楽しみいただきます。


◆今回はポール・ゲッティ美術館が所蔵するオリジナルの写真に加え(日本初公開!)、東京都写真美術館が所有する120点以上の写真が展示される

◆関連イベント・・・石黒敬章・井桜直美トークショー「フェリーチェ・ベアトを語る」 8/31日 14:00~16:00


◆作品点数・・・90点

◆休館日・・・月曜日 月曜が祝日の場合は開館


(2013/7/10 時点の情報)