私は折り紙が苦手だ。
基本と言われる‘鶴’さえ、未だに折れない。
苦手でなくても、「折り紙なんてやる機会もないし、そもそもあまり興味もないなぁ~」という人が大半じゃなかろうか。
・・・だが、この作品を見てもそんなことが言えるだろうか?
作品のタイトルは「Mermeid」。
なんと、この人魚姫は一切ハサミを使わずに、 一枚の紙から作られているという。
折り紙は通常、紙を折った‘直線’から構成される。しかし、この作品は腕や胸の柔らかなカーブ、曲げたひれなど、‘曲線’で作られているのだ。
紙がねじ曲げられ、まるで粘土細工のように、 質量を持った‘オブジェ’へと変化している!
2013年・東京アンデパンダン展で、観客の人気が高かったアーティストによる作品展示イベント。今回の展示は人気投票3位にとなったペガサスをはじめとして、考える人、ダビデ、ビーナスの誕生、ニケのビーナスなどを折り紙で作る、服部正氏の作品が展示される。
では、同氏が作り出す、新しい折り紙の世界をさらにご覧いただこう。
ミロのヴィーナス。CDのケースの上に立ち、ジャケットが舞台の背景になっている。
オペラの一場面のようにも見える。背景の前に立たせることで、折り紙がフィギュアのようになる。
どの作品も石膏か、粘土で作られた塑像のようで、とても紙から出来ているようには思えない。モチーフも神話や、怪物など、おおよそ折り紙で作られることはないものばかりである。
深瀬記念視覚芸術保存基金代表・深瀬鋭一郎氏の挨拶文によると、服部正氏は幼いころから芸術的才能を発揮していた。子供向けの絵画コンテストで懸賞を稼ぎ、家業の商品デザインを手掛けて百貨店に納品するなどしていた。本人も画家を目指していたが、親に反対され一旦は芸術家の道を諦めたのだそう。
しかし、52歳の時に再び芸術を志す(19歳から続けていた空手を破門されたことがきっかけらしい・・・ )「切り折り紙」の手法から始まって、その後はハサミを入れず、折り紙を粘土のように折って、こねることにより、人物や、動物などの小立体を制作する「おりがみオブジェ」 の手法を生み出した。
しかし、52歳の時に再び芸術を志す(19歳から続けていた空手を破門されたことがきっかけらしい・・・ )「切り折り紙」の手法から始まって、その後はハサミを入れず、折り紙を粘土のように折って、こねることにより、人物や、動物などの小立体を制作する「おりがみオブジェ」 の手法を生み出した。
天井からいくつもの折り紙を吊り下げ、モビールのようにした作品。ユニコーンや、天使が宙を舞う。
サモトラケのニケ、ユニコーンなど、神話がモチーフになっているものが多い。
実際に作品に触れられるコーナーもある。右の写真は同じような形だが、それぞれ紙ナプキン、包装紙、様々な紙を使って作られている。服部さんはこうした折り紙以外の紙でも、作品を作ってしまうそうだ。
間近で見ると確かに、折るというより、‘こねる’ように作られたことが良く分かる。そっと手に取ってみると、作品が製作者の手の中でどんどん形を変え、慈しみながら作られた過程が伝わってくる気がした。‘手の温かさ’のようなものまで感じられる。
紙で出来ているのに、重量を伴った独特の存在感がある。
折り紙をデッサンした絵も展示されている(描いたのは服部さんの知人だそう)2Dである紙から、3Dのおりがみオブジェが作られ、それがまた2Dのデッサンになっている。
イベント開催中の土日はワークショップも開催され、このような可愛いらしい作品も作られる。
ふと、学生時代のことを思い出した。授業中、先生の目を盗んでは友達と手紙の交換をしていた。メモ帳を折って、封筒、イチゴ、シャツなどを作って、他愛もないことを書きこんでいた。あれも一種の折り紙のはずだが、全く折ることは苦痛でなかったし、むしろ楽しかった。今でも折り方を覚えているくらいだ。なぜだろう?
この展示を見ていて、その理由が分かった気がした。私は折り紙はきちんと指示通りに、まっすぐ、正確に折るもの、と考えていた。だが、服部さんの作品はもっと自由に、心の赴くままに作られている。 「こう作るべき」ではなく、「こう作りたい」という考えが折り目や、こねられて柔らかくなった折り紙に表れているのだ。
まるで粘土のように、折り紙を自由自在に操って作られた作品。どれも折り紙とは思えない、これまで見たことがないようなものばかりで、折り紙であることを忘れてしまう。しかし同時に、紙で作ることの魅力・可能性、自分の手で何かを作ることの楽しみの原点のようなものを思い出させてくれる作品だった。
2014.03.27 文・写真 篠崎夏美