少女、って何だろう?
その言葉には、単純に‘年齢が若い女性’という以上の意味がある。心と身体が発達途中で危うい存在は、古今東西様々な芸術、文学のモチーフになってきただけでなく、‘少女’という文化そのものまで生み出した。
10.08[水]~10.15[水] / 東京都 / Bunkamura Gallery
トレヴァー・ブラウン「polkadot disease」 2014年 油彩、キャンバス 650×530mm
しかし実際には、少女は永遠の存在で居続けることは出来ない。己とは何なのか?子供なのか?大人なのか?常に自身に問いかけながら、‘女’になるタイムリミットの中で過ごしている。アンバランスでナイーブな存在だ。
この展覧会では、20余名のアーティストによって創造された「少女のリアリティ」がテーマの作品を紹介する。平面、立体など、様々な‘少女’たちに出会うことが出来る。
ミストレス・ノール 「ポーリーヌ・T ~縁飾りの目録」2011年
ナチュラルラテックスラバー、絹糸、絹リボン、スパングル
フランス象徴派詩人のマドンナ、菫のミューズ、ボードレー ルの娘、など数々の呼び名がある夭折の詩人、ルネ・ヴィヴィアンへのオマージュ作品。ポーリーヌ・Tはルネ・ヴィヴィアンの彼女の本名。人生の中で岐路となった出来事を縁飾り(衣服の断片)と、三編み(遺髪)に託して、記憶の目録としたもの。
左)たま「Poisonous Angel2」 2012年 水彩、紙、板
右)たま「Poisonas Angel1」 2012年 水彩、紙、板
少女主義的水彩画家・たまさんの作品。画集にも載っていない、国内ほぼ未発表作品とのこと。可愛さ、毒、キュート、セクシー、‘少女’要素がこれでもか、と詰め込まれている。柔らかで透明感のある水彩絵の具で生み出されるのは、まさに「少女主義」。
左)トレヴァー・ブラウン「teddy bear operation」2008年 油彩、キャンバス 530×650mm
左)FREAKS CIRCUS 「うさぎさん」 ビスク、グラスアイ、フェイクファー
左)イチヂアキコ 「星を喪失」 2013年 紙本着彩、雲肌麻紙、岩絵具、箔、ホロチップ 455×530mm
左)今井キラ「アキュート」 2014年 デジタルプリント、手彩
富﨑NORI 「球体関節式 チカ 壱」 2014年 写真、CG 297×420㎜
“病的にポップ。痛いほどガーリー。”「トラウマテクノポップ」を標榜する4人組バンド、アーバンギャルドを率いる松永天馬氏のドローイング作品 。言葉のハートが割れて、皺だらけになって、涙で滲んで・・・、というストーリーを文章と視覚で表現している。『見る文学』とでもいうべき、詩的な作品。松永氏の歌詞は、ネガティブだけどポップでこれ以上なく‘少女的’だ。
真珠子 「Exchanging! Our mind.」 2014年 蝋描、刺繍
窓を開けると作品が見える仕掛け。自分の手で窓を開ける、それだけで特別な空間を覗き見ている感覚になる。蝋で描かれた不思議な模様は、涙が流れた跡のようでもある。
ミストレス・ノール 「ポーリーヌ・T ~縁飾りの目録」2011年
ナチュラルラテックスラバー、絹糸、絹リボン、スパングル
フランス象徴派詩人のマドンナ、菫のミューズ、ボードレー ルの娘、など数々の呼び名がある夭折の詩人、ルネ・ヴィヴィアンへのオマージュ作品。ポーリーヌ・Tはルネ・ヴィヴィアンの彼女の本名。人生の中で岐路となった出来事を縁飾り(衣服の断片)と、三編み(遺髪)に託して、記憶の目録としたもの。
左)たま「Poisonous Angel2」 2012年 水彩、紙、板
右)たま「Poisonas Angel1」 2012年 水彩、紙、板
少女主義的水彩画家・たまさんの作品。画集にも載っていない、国内ほぼ未発表作品とのこと。可愛さ、毒、キュート、セクシー、‘少女’要素がこれでもか、と詰め込まれている。柔らかで透明感のある水彩絵の具で生み出されるのは、まさに「少女主義」。
左)トレヴァー・ブラウン「teddy bear operation」2008年 油彩、キャンバス 530×650mm
右)トレヴァー・ブラウン「ichigo」2014年 油彩、キャンバス 650×650mm
クマのぬいぐるみの手術、大きなイチゴを抱えた女の子。離れてみるとドクロが浮かび上がる隠し絵になっている。可愛いけれど不気味、でも目を離せない。
「teddy bear operation」 を見て思い出した。昔、“お医者さんごっこ”でシロクマのぬいぐるみを患者に見立て、赤いクレヨンで‘傷’を描いた。真っ赤に塗りつぶされた白いお腹。遊びのつもりだったのだが、無邪気ゆえの残酷さも少女の特徴かもしれない。
さちこ 作品名などは以下の図参照
レトロな展示演出品も作品の世界観をさらにひき立てている。何やら怪しげな雰囲気で、小さなアイテムも一つ一つ見入ってしまう。人形は今回初めて制作したらしい。
本来、‘少女’という言葉から想起されるイメージは「純情」、「可憐」、「無垢」、といったものが多い。しかし、ここにいる‘少女’達はそんなに甘くない。物憂げで、エロティックで、はっきりとした意志を持ち、時に邪悪さすら感じる。
出展している作家さんは、ほとんどが女性らしい。かつて‘少女’だった、もしくは今も‘少女’であるからこそ、リアルだけれど象徴的な‘少女’が表現できるのかもしれない。
左)FREAKS CIRCUS 「うさぎさん」 ビスク、グラスアイ、フェイクファー
右)FREAKS CIRCUS 「涙雨」 2014年 イージースリップ、作り目、油彩、化繊
手前)FREAKS CIRCUS 「Jelly」 2014年 ビスク、グラスアイ、化繊
奥)FREAKS CIRCUS 「Candy」 2014年 ビスク、グラスアイ、化繊
FREAKS CIRCUSは、 クロさん(人形制作)、シロさん(衣装・写真・アートワーク担当) によるユニット。少女の玩具と言えば人形だが、これらの人形は少女そのものを映し出すものでもある。
左)イチヂアキコ 「星を喪失」 2013年 紙本着彩、雲肌麻紙、岩絵具、箔、ホロチップ 455×530mm
中)イチヂアキコ 「密やかなる」 2013年 紙本着彩、雲肌麻紙、岩絵具、箔 182×257㎜
右)イチヂアキコ 「夜のはじまり」 2013年 紙本着彩、雲肌麻紙、岩絵具、箔 333×242mm
日本画家・イヂチアキコさんの作品。 洋風のモチーフを日本画で表現することによって絶妙なバランスが成り立っている。じめっとした陰鬱さがあるが、それに負けない強さと美しさを持った少女たち。無理やり跳ね返すのではなくて、ただ立っているだけだが誰にも、何にも侵されないような、凛とした強さだ。
左)今井キラ「アキュート」 2014年 デジタルプリント、手彩
右)今井キラ「クロニック」 2014年 デジタルプリント、手彩
日本的少女=セーラー服のイメージ。ブレザーより、セーラー服の方が‘少女’を象徴していると思う。少女は世服、学校、社会という枠の中にいながら、自由に振る舞っている(ように見える)。制服の少女を眺めるのは、水槽の中の金魚を眺めることに似ている。
富﨑NORI 「球体関節式 チカ 壱」 2014年 写真、CG 297×420㎜
ドールイラストレーター「富崎NORI」 さんの作品。写真にCG加工をすることで、モデルが『球体関節人形』になる。少し前に球体関節ストッキングが話題になったが、こちらはよりリアルだ。リラックマ、プーさん、ダッフィー、初音ミクなどのキャラクターもちりばめられていて、生々しさがある。キャラクター好きな少女が球体関節人形になったのか、もしくは彼女自身もキャラクターの人形、なのか・・・。
松永天馬 「ハートは丸く尖っている」 2014年 ドローイング
“病的にポップ。痛いほどガーリー。”「トラウマテクノポップ」を標榜する4人組バンド、アーバンギャルドを率いる松永天馬氏のドローイング作品 。言葉のハートが割れて、皺だらけになって、涙で滲んで・・・、というストーリーを文章と視覚で表現している。『見る文学』とでもいうべき、詩的な作品。松永氏の歌詞は、ネガティブだけどポップでこれ以上なく‘少女的’だ。
トレヴァー・ブラウン「sacred heart」 油彩、キャンバス 650×530mm
トレヴァー・ブラウンとアーバンギャルドがコラボした限定のオリジナルグッズも販売されている。
カワイイけどキケン、清楚だけど淫靡、儚げだけど強い。相反するもの、または表裏一体なもの、それらを内包する存在‘少女’。
アイドル、アニメ・マンガ・ゲームのキャラクターなど、21世紀は次々に‘少女’が生産され、消費される時代とも言える。 勝手に作り上げられた理想像、自分の中にあるアンビバレンツ、成長という時間の経過、社会という『ソト』の世界・・・。
少女は少女であり続けるために、これからも戦い続ける。
か弱くて、最強の存在。それが‘少女’だ。
2014.10.12 文・写真 篠崎夏美