うぞうぞ、うぞうぞ・・・。
白い虫が壁を這う。一心に、どこかに向かっているように見える。
・・・いや、これは虫ではない。
誰かの親指だ。
親指が壁一面についている。
部屋の中にある小さな白いものは、すべて親指である。作り物と分かっていても、皮膚の表面がざわつくような感覚がある。
伊藤啓恵「親指幻想」
伊藤啓恵さん
2004年から親指をテーマに制作しており、愛を親指という形で表現している。親指を自らだけのものにしたい独占欲。そんな思いで、沢山の親指を作品にしている。
05.19[月]~05.31[土] / 東京都 / ヴァニラ画廊 展示室 A
親指をテーマにした作品を制作している伊藤啓恵さんの個展イベント。
伊藤啓恵さん
2004年から親指をテーマに制作しており、愛を親指という形で表現している。親指を自らだけのものにしたい独占欲。そんな思いで、沢山の親指を作品にしている。
それにしても、なぜ『親指』なのだろう?
子供が指をしゃぶる時は親指だから?
携帯で文字を打つ時は親指だから?
良い意味(サムズアップ)、悪い意味(サムズダウン)を表すから?
「男性」、「彼」という意味があるから?
伊藤さんに聞いてみた。
『親指は、他の指と形や向いている方向が違いますよね。なんか変な形だし(笑) それに親指がないと、物をつかんだりすることが難しいんです。大切な指なんですよ』
確かに一本だけそっぽを向いていて、他の指より短い親指。確かにコイツだけちょっと変だ。しかし、伊藤さんの話を聞いて、様々な親指の作品を見ているうちに、なんだか愛おしく思えてきた。
壁についた親指は裏に画びょうがついている。
動くはずはないのだが、丸い身体をくねらせて動いているように見えた。頑張って絵の中に入ろうとしているようで、応援したくなってくる。
ほぼ丸々一本のもの、第一関節だけのもの、様々な親指がある。
箱に入れられた親指がずらりと並ぶ。何だかマンションみたいだ。
カプセル、塗り薬が入っていた箱、様々な入れ物に入れて、大切保管されている親指たち。これらはある人の実物の親指から型を取って、石膏や紙粘土で作られているという。そのため、爪の形、関節の皺まで、非常にリアルなのだ。
きっと、伊藤さんの大切な人の親指なのだろう。
大好きな人に、いつもそばにいて欲しい。
大好きな人は、体の一部分でさえ愛しい。
そんな思いが『親指』となって溢れている。
たくさんの型取りで増やされた親指は、もっともっと大切な人を感じたい、という表れなのだろう。
大好きな人と撮った写真、一緒に見た映画の半券、貰った小さなプレゼント、そんなものを大切にとっておいたことが誰にでもあるのではないだろうか?そうした細々としたものは、全て『愛の証』である。
だが、大切にしまっておくことだけが愛の表現とは限らない。
好きだからこそ傷つけてしまうような嗜虐性もある。自分への愛を確かめるために、相手を痛めつけてしまうこともあるかもしれない。安全ピンや、釘や、ネジを打ち込まれ、血を流す親指。
相手を傷つけているが、自分も同様に傷を負っているのだろう。とても痛々しいが、ワインレッドの血は非現実的で、ポップで可愛らしい印象も受ける。
水に沈めてぶよぶよになっていくのを眺めたり、文字通り『食べちゃいたいくらい愛している』ことを表現してみたり。
相手を好きになり過ぎると、その人と一体になりたいと思うあまり、齧りつきたくなるという話を聞くことがある。分からないでもない。肉の一切れ、細胞の一つまで、自分のものにしたくなってしまう。
親指なクッキー
本当に齧ってしまうと猟奇事件になってしまうので、ここはクッキーで我慢しよう。このクッキーは伊藤さんからお土産に頂いたもの。静岡県袋井市のジュジュポワットというお店で作ってもらったものだそう (イベント開催中ヴァニラ画廊で購入可能)
最初は、グロテスクで気味が悪いと思ったのだが、一本一本の親指に込められた作り手の愛情を感じだ。また、自分にも『愛の証』を無限に増やして、常に自分のそばに置いておきたいという、同じような感情があることに気付いた。
ここに並べられている親指は、あなたの大切な人の親指でもあるし、同時にあなた自身の親指かもしれない。
2014.05.21 文・写真 篠崎夏美