見られている。
圧倒的な視線を感じる。
圧倒的な数で、圧倒的な力で、
見られている。
部屋には誰もいない。けれど、1001人が私を見ている。
壁をぐるりと取り囲むのは、極彩色の化粧を施して、金色の宝冠をいただいた‘菩薩’たち。薄暗い部屋に浮かび上がる、顔、顔、顔・・・。足を踏み入れた瞬間、思わず立ちすくんでしまう。何だろう、この感覚は・・・。
どこからか静かに音楽が流れてくる。心細くなるような、そのくせ落ち着くような、不思議な空間だ。
ここは一体どこなのか・・・?
三十三間堂プロジェクト
―この中に会いたい人の顔がある、自分に似た顔があるー
04.05[土]~04.29[火] / 東京都 / 1F 3331 Gallery
仏像をモチーフにした作品を制作をしている美術作家 ・TETTAさん。幼いころから仏像が好きだった彼女。なんと、仏像が好き過ぎて自ら菩薩になってしまった。人は何かを愛し過ぎると、眺めるだけでは飽きたらず、そのものと一体になりたくなるらしい。
京都の名所の一つ三十三間堂は、修学旅行で訪れた人も多いだろう。本堂には1001体の菩薩像が並んでおり、「必ず会いたい人に似た像がある」という言い伝えがある。
「三十三間堂プロジェクト」 は三十三間堂 へのオマージュ作品である。作家本人+1000人=1001人の仏像顔を作るのだ。2010年5月に始まり、2012年9月に見事1000人を達成した。このプロジェクトで収められた、現代人の1000の仏顔が並ぶことによって、その言い伝えが再現される。
アーモンド形にくっきりと縁取りされた目。鮮やかなアイシャドウを何色も使って塗り分けられている。「アルカイックスマイル」で微笑みかけている。瞑想中であることを示す「三昧」という薄目を開けた状態なのに、なぜか見られていると感じてしまう。
入り口で感じた圧倒感は、豪華な宝飾品とド派手なメイクによって、人ではない‘何か’になった存在に囲まれたことに対してのものだったかもしれない。
良く見ると、どこか違和感を感じないだろうか?
通常の人物写真とは、対称性が異なるのだ。撮影した顔写真は左顔をシンメトリーにして合成する。この左側の顔、というのがポイントらしい。
なぜなら左顔は創造性・女性性を司るもので、ヨーロッパなどでは左顔の事を「神の顔」、「エンジェルフェイス」などと言うそうだ。シンメトリー合成することにより、人間の顔から少し逸脱した、仏に近い存在になる。 仏になるという虚像と、人物の実像が合成された不思議な写真。そこには本性が露出するのだという。
見られていると感じるのに、はっきり目が合うことはない。薄目にしていることもあるが、「左目だけ」であることも原因ではないかと思った。人は右と左、両方の目で見える映像を合成して物を見ている。片目で見ると途端に映像は立体感を失う。
そのため写真とは言え、左目だけの場合には何となく違和感があるのだろうか。どこかぼんやりとした、神秘的な印象を抱くのはそのためなのだろうか。
また、写体はほとんどが大人だが、中には幼い子供が写っているものもあった。子供はメイクをしなくても違和感がない。今も昔も、子供は大人より「仏」に近い存在なのだろう。
今回も同じようなことを感じた。知り合いに似ている人がいたかと言われても、元の顔が分からないくらいのメイクでは気付きようがない。しかし、だからこそ誰にでもなれるし、誰かに似ているかもしれないと感じるのだろう。
本来メイク(化粧)とは、自分以外の何かになるためのものだった。‘仏顔メイク’と‘宝冠’と‘左顔’で、人は菩薩にもなれるのだ。現代の三十三間堂で、どこかにいるかもしれない自分に似た菩薩に出会う神秘的な体験だった。
2014.4.7 文・写真 篠崎夏美