東京・伊勢半本店 紅ミュージアム
伊勢半本店 紅ミュージアム 入口
紅屋として創業した伊勢半は、昔から品質にこだわり続けてきた。終戦後はすぐに残っていたわずかな物資で口紅の製造を再開したとのこと。金属などがなかったため、紙で紅をキャンディーのようにくるんで販売していたそうだ。昭和21年には本格的に口紅作りを再開する。そして1947年には「唇に栄養を与える」というキャッチコピー。日々の食べ物にすらまだ困窮していた時代。人々の心に強く響くものだっただろう。
物資が不足している時代、どんな商品でも作れば売れる状態だった。しかし、「粗悪品は必ず淘汰される」という六代目の強い意志で、質のよい原料にこだわり商品を開発してきた。その結果、日本のメイク業界を牽引する存在にまでなったとも言える。当時の化粧品は高級品というイメージが強かった。彫金の細かい模様が入った素敵なデザインの口紅は、今でも人気が出そうだ。また、小売店に卸される箱も展示されていたが、この箱までおしゃれでゴージャス感がある。お客様に見られることがないところにも工夫が凝らされている。
そして1955年、『キッスしても落ちない口紅』というキャッチコピーで、スーパー口紅が発売される。広告にはキス寸前の男女。今であれば特に何ともないが、当時としてはかなり大胆なものだった。破廉恥である、風紀を乱す、と主婦連合から抗議されたり、新聞紙には広告を断られることもあったそうだ。
2:世相を反映した商品たち
年表の手前にはキスミー商品がずらりと並べられている。年表にはその年の出来事、発売された製品に加え、メイク(リップ、アイ、チーク、スキン)の流行などが書かれている。サラリーマンの平均月収の情報もあり、商品の値段と比較してみると、当時の金銭感覚と照らし合わせることができ、より理解が深まるだろう。
ここに並べられているものは、単なるキスミーの歴代商品ではなく、戦後のメイク史そのものとも言える。トレンドを取り入れながら、時代ごとの、‘こんな女性になりたい’、という願いを叶えてきたコスメたち。容器ひとつ取ってもその時の流行・世相が反映されており、楽しく歴史を振り返ることが出来る。また、母娘で訪れてお互いが使っていたものについて話したり、学生時代の同級生同士が当時を振り返ってはしゃいでいたり、という光景も良く見られるそうだ。いつも女性のそばにあるキスミーの商品は、そのまま人生の思い出の一部になっていることを実感した。
品質にこだわりながらも、常に時代をリードしてきた‘キスミーだからこそ’出来た、様々な商品、宣伝などが紹介されている。香水の醸造にかかる時間を『超短波科学装置』によって短縮したり、京急電鉄とタイアップし、湘南行の電車で香水のプロモーションを行ったり。また、現代でも広く使われている「リップクリーム」という言葉を生み出したり、BBクリームの元祖とも言えるオールインワン・ファンデーションを1954年と言うかなり早い段階で発売したりと、日本のコスメ界の先端を走ってきたことが分かる。
‘コスメ界の伝説’とも言われる「キスミーシャイン®リップ」。1970年に発売され、これまでになかったツヤとその持続性、手軽さ、そして色付きであっても『リップクリームです』と言い張り学校にも持ち込めるという、女子中高生のオシャレ心を満たし、大人気となった。
あまりの人気で、学校では色付きシャインリップの持ち込み禁止の規制も出来たほどだという。人気アイドル・キャンディーズをCMに起用したり、1979年には漫画家・里中満智子さんのイラストを広告に採用。その年、一年間でシリーズ合計1000万本以上という驚異的な売り上げを記録した。口紅のジャンル、しかも一年でこれだけの販売実績は、世界でも類を見ない。
3月に限定復刻される「キスミーシャインリップ」を先行発売
【販売価格 630円(税込)】
図録
‘企業史展’という言葉からは、どうしても企業の業績などが中心の硬い内容を想像しがちだ。しかし、この「愛せよコスメ!」は見ているだけでワクワクしたり、懐かしくなったり、時間を忘れてしまうほど楽しめた。当時の繊細なデザインにうっとりしたり、レトロ可愛いイラストに心躍らせたり、自分が使ったことのあるもの見つけてテンションが上がったり・・・。
そうした伝統に甘んじず、常に人々が求めるものが何であるかを考えてきた伊勢半。そんな伊勢半「キスミーブランド」を様々な切り口で紹介する企業史展。それは、心身ともに女性を豊かにしてきた歴史をたどる展示でもある。