徳島・大塚国際美術館
中野京子さんが書いた美術エッセイ「怖い絵」は、誰でも知っている名画に秘められた恐ろしい真実を紹介し話題となった。その「怖い絵」に登場する数々の作品を、解説と共に見学するギャラリートークツアー。
大塚国際美術館には、世界中の絵画の原寸大の複製画が所蔵されている。陶板に特殊な手法によって焼き付けられた絵は、非常にリアルで、劣化することもない。また間近で鑑賞出来る上に、撮影も可能だ。
ツアーの始まりは、「ルネサンス」がテーマ。システィーナホールからスタート。ここは、ヴァチカン市国にあるシスティーナ礼拝堂を原寸大で再現している。本物にはないスポットライトも設置され、より絵画を鑑賞しやすい環境になっている。また、かなり巨大な絵なので『右上』などと言われても良くわからない。しかし、ツアーではレーザーポインターを使いながら該当箇所を説明してくれるので分かりやすい。
‘神のごとき’と称賛された、天才・ミケランジェロが6年もの歳月をかけて描きあげた壮大な天井画。およそ400人もの神や、人が登場するが誰一人として同じポーズはない。大塚国際美術館の目玉とも言える展示で、ここだけで軽く1時間のツアーが出来てしまう。
ミケランジェロ「最後の審判」
神がアダムに指先から生命を吹き込む。このシーンは名SF映画のもとになったともされている。
大きく分けて左部(中央にいるキリストから見ると右)が天国、右部(キリストから見ると左)が地獄になっている。ただ、遠目から見るとその境目ははっきりとは分からない。良く見ると、天国行き、地獄行きの名前が書かれたリストの厚さが異なる。また、天国に行く人々は喜びに満ちた表情をしているのかと思いきや、驚いたような、戸惑ったような表情をしているのが印象的だった。
登場人物たちの筋骨隆々の肉体美も特徴の一つだが、元々の絵は裸体で描かれていたそうだ。これに怒ったローマ法王庁の儀典長ビアージオは、ミケランジェロを厳しく非難し、別の画家に腰布を描かせた。しかし、ミケランジェロも黙ってはおらず、儀典長を地獄の王ミノスにして、しかも裸体で蛇を巻きつかせる、という方法で描き込んだ。 さらに、ミケランジェロは、自分の自画像も描き込んでいる。
右下:聖バルトロマイの生皮として描かれたミケランジェロの自画像
●怖いポイント:敢えて天国と地獄を曖昧にすることで、天国にも、地獄にも行く可能性がある人の危うさを表現している。
●怖いポイント:天国行きのリストは薄く、地獄行きのリストは厚い。世の中の多くが悪人である、という寓意。人々に危機感を与えるためだろうか?
●怖いポイント:自分を糾弾した相手を、永久に残るであろう聖堂に皮肉たっぷりに描くという嫌がらせ。
●怖いポイント:ミケランジェロは自らの姿を‘剥がれた生皮’に投影した。なぜこんなものを自分として描いたのか、どんな気持ちだったのか、少し不気味でもある。
ツアーの様子
次のテーマは『受胎告知』。少し怖い絵からは離れるが、様々な画家による受胎告知を見比べることが出来、興味深かった。幅広い時代、国の作品が一堂に会する大塚国際美術館だからこそ可能となる展示方法である。
ティントレット「受胎告知」
飛び込んできた天使・ガブリエル、いきなりの事態に恐れおののくマリア。一般的な『受胎告知』とは異なることが一目で分かる。マリアの驚きは、第一に天使が(しかもこの絵によると大群で)やってきたこと。第二に、身に覚えのない妊娠を告げられたこと。第三にそれが神の子であると告げられたこと。この怯えた表情と、広げられた両手で表現される驚きも無理はない。
●怖いポイント:神の意志とは言え、普通の女の子だったマリアには、唐突で、驚愕の出来事である。圧倒的、絶対的な力の前では、人間は無力であることを感じさせる。
ブロンズィーノ「愛と時間の寓意」
こちらも美しい愛の情景を描いたものに見えるが、絵に登場するもの全てが寓意と言っても過言ではない。一説には宮廷の貴婦人と、召使の恋愛を描いたものと言われている。絵に散りばめられたアイテムを見つけ、謎を解くことで本当の意味が分かる、知識階級のいわば「謎解き遊び」の一種だったのかもしれない。
●怖いポイント:描かれたものには全て、快楽、偽り、不誠実、儚さ、欺瞞、 邪悪などの意味がある。殆ど全てマイナスのイメージで、救いはない。偽りの愛、不誠実な愛、そして当時の宮廷を暗に批判しているのだろうか。
●怖いポイント:一見可愛らしい少女の下半身が怪物だったり、「真実」を象徴する女性が仮面を付けていることが最近判明したり、一筋縄ではいかない見るものを試すかのような、皮肉めいた絵である。
ブリューゲル「ネーデルランドのことわざ」
沢山の村人が描かれており、それぞれがネーデルランドに伝わることわざを表している。その数は100にもなるという。 日本のことわざと共通するものもいくつかある。
こぼれたミルクは戻らない=覆水盆に返らず
豚に花=豚に真珠。ちなみに、左端の男性に青いマントを着せている女性は「不誠実」を表し、夫を欺く妻を意味している。
●怖いポイント:明るい農村風景を描いているようだが、実はかなり痛烈な風刺、皮肉が込められている。これだけの人々によって、様々に表現される強欲、背徳、などの悪行は、そのままこの世界を映したものかもしれない。
ブリューゲル「雪中の狩人」
●怖いポイント:厳しい冬、苦労している人間がいる一方で、素知らぬ顔で遊んでいる人たちもいる。貧富の差、人生の浮き沈みが表れている。
●怖いポイント:重く垂れ込めた灰色の雲、切り立った山々、黒いカササギなども不穏な雰囲気を醸し出している。
ブリューゲル「バベルの塔」
巨大な建築中のバベルの塔、そして小さな小さな人間たち。風景や、建築中の様子、視察に来た王様の一団も描いている。物語を知っている我々にとっては、いずれ崩れ去る塔を作っている人たちに同情もするが、いくつか面白い点もあった。
● 怖いポイント:驕り、愚かな欲望に憑りつかれた、小さな人間がここまで大きな建物を作るという執念。塔自体が生きているような、禍々しさも感じる。
●怖いポイント:王の一行の前ではひざまづいているものもいるが、少し離れたところでは昼寝をしている者がいたり、あまりに長期間完成しないので、城に家庭菜園を作っている者がいたりと、形骸化した権威が示されている。
ホルバイン「大使たち」
毛皮、髭、衣装など、細かくリアルに描かれているのは、ある重大な役目を担った2人の大使。イギリスのヘンリー8世が離婚し、アン・ブーリンと結婚すると言いだした為、教会と険悪になる。それを牽制する為にフランスから遣わされたのだ。立派な2人の間には数々の不穏なものがある。
●怖いポイント:棚の上部には、地球儀やコンパスなど、知識と教養を示すものが描かれている。一方下の段には軸が折れた地球儀、壊れたリュートなど、この任務の失敗、ヨーロッパの分裂を予想させるものがある。これもまた良く見なければ分からない皮肉だ。
●怖いポイント:2人の足元にある不思議な物体、絵を横から見ると真実の姿を現す。当時の思想を反映するものだと言われるが、画家はなぜこれを描いたのだろうか。
リゴー「ルイ14世の肖像」
『朕は国家なり』の発言でも知られる、‘太陽王’ルイ14世の堂々とした肖像画。当時の最先端のファッションで身を包んだ自信あふれる王の姿。また、それ自体が美術品にもなり得る豪華な額縁は、本物とほぼ同じに再現されている。
●怖いポイント:ルイ14世が纏っている毛皮のマント。まさに権力の象徴とも言えるものだが、黒い点に注目。これは、シロテン(アーミン)という動物の尻尾。なんと、140以上もの点がある=それだけのシロテンを使って作られている。シロテンは体長30cmほどらしいので、これだけの大きさのマントを作るには何百匹も必要だっただろう。
さらに、使われる毛皮は冬毛に生え変わったばかりの一番柔らかい毛だったという。寒い冬にこれだけのシロテンを捕まえるのも相当な苦労だったのではないか。信じられない程豪華で、残酷なマントである。
リベラ「髭のある女」
男性が授乳をしているのかと思いきや、この女性は2人目の子供を出産後、髭が生えてきたのだそうだ。禿げ上がった額や、手など男性のようだが、乳房は女性と言う強烈な印象のある絵。この女性は実際にいた人物で、その珍しさからスペイン国王に知らせるべく肖像画を描かせたのだという。
●怖いポイント:興味本位で庶民を‘見世物’的に扱う人々、描かれたモデルたちの戸惑うような、訴えるような表情。女性のこちらを見据えるまなざしには、母親としての強さも感じる。
※ツアーで紹介された絵から一部抜粋
<ツアーの感想>
ツアーの定員は20名、事前予約も出来る。しかし館内を歩いているうちに、他のツアーと混ざってしまったり、一般の見物客も入りこんだりして、かなりの大人数になることもあった。折角予約をした人が良く見えなかったり、途中でツアーを見失いそうになることも。
適宜予約者が前に出られるように声かけなどを行っていたが、予約者にはバッヂや腕章をつけても良いかもしれない。また、同時に複数のツアーが開催されることもあるので、自分の参加しているツアーが分かるようにガイドの方が旗や、プレートを持ってくれると分かりやすいのではないか。
良かった点は、解説付きであれば絵を見られたこと。説明文よりも詳しく、とても参考になり、より深く理解出来た。説明文を読みながらの鑑賞だと、絵と文字を同時に見ることが出来ないが、解説なら頭に入りやすく集中して鑑賞しやすい。
一般的には、美術、芸術は美しい、というイメージがあるが、怖い絵にはその裏にある情念、欲望、残酷などの暗いものが表現されている。大塚国際美術館では、「怖い絵」を間近で、原寸大で見られるので、よりその世界を体験出来る。怖い、でも見たい、という不可思議な欲求、尽きることのない人間の好奇心。そうしたものも「怖い絵」が描かれる要因の一つなのかもしれない。見た目には穏やかな絵に見えるが、意味を知ることによってその恐ろしさが分かる絵が多かった。
何が「怖い」のか?それはこうした多くの意味、事実を知らずに、平気で絵を見ていることではないかと思う。
2014.01.04 文・写真 篠崎夏美